医師は「カルテ」に何を書いているのでしょうか?

「先生は診察のとき、いつもパソコンの方ばかりみていますね」そのように言われるようになったのは電子カルテ(診療録)が普及してからのことですね。できれば患者さんに向き合って診療したいと思っていますが、仕方ないところもあるのです。自由診療を除き、医師は保険診療の範囲を逸脱しないように心を配りながら診療しなければなりません。そのためには、保険を使っても支障がないように、カルテの記載を丁寧に行わないとならないのです。これを怠ると患者さんに余計な費用負担を強いたり、せっかく時間と労力をかけて行った正当な検査/治療の費用が、保険支払機関から払ってもらえず、医療機関の赤字を招きます。利益を追求するタチの悪い医療機関には、厚労省が立入り検査に入り、カルテ(診療録)記載の不備を指摘し、悪質ならば保険医取り消しの重い処分を行います。このようにカルテの記載は、患者・医師・医療機関にとって大切なものなのです。今回は、医師がカルテに記載する内容について紹介すると共に、そこから見える医療と健康を取り巻く事柄について触れたいと思います。

誰が見ても、わかりやすく記載するように心がけています

僕が学生・研修医のころのカルテは手書きであり、ドイツ語や英語、略語ばかりが並び、ましてやミミズのような解読不能な文字ならばなおさら、同じ領域の専門医がみても、他人が見て理解できるようなものではありませんでした。電子カルテが普及し、かつ、患者や家族に対するインフォームドコンセント(患者が病状や治療法について、医療者から十分な説明を受け、内容を理解・納得した上で、医療行為を受けることに自ら同意する手続き)が一般的になってから、すべての医療従事者が理解できるように記載すべきもの、という認識が広まりました。また、医療過誤に対して厳しい目が向けられるようになるとともにカルテの内容開示が行われることが増え、医師および医療従事者は、司法やその他、誰の目にも触れていいようにカルテ記載を行うようになりました。これはとてもいいことだと思います。僕は、検査結果や処方内容などが記載された電子カルテ画面を、そのまま患者さんにお見せして診療内容を説明していますので、それ以外の記載についても、目に触れてもいいように気を配りながら行っています。

診断・治療についてどうしていくかー忘備録としての役割

僕は毎月1,000名程度の患者さんを診療していますが、すべての患者さん、およびその診療情報を記憶することはできません。そのため、病状およびその診断・治療方針について、次回来院されたときに思い出すようにカルテを記載します。たとえば高血圧の方の血圧が高めなら、その日すぐに血圧のお薬を増やさないで、減塩・運動・減量についてお話しし、次回診察時に改善傾向がなければ「お薬を増やします」とお伝えして、カルテには「次回、降圧強化?」などと記載します。このような記載を忘れると、次回診察時に患者さんの理解とは異なったことを行ってしまうことにつながりますし、診療内容の適正化も遅れてしまいます。患者さんそれぞれの背景・経過により、診療内容を見直し、患者さんへどのようにお伝えしたか、次はどうするのか、カルテは忘備録的な役割があります。また、他院から紹介された方について、調べが終わり、ある程度診療方針が定まると、紹介元の医師に返書を書くのですが、これを忘れないよう、「次回、返書」などと記載しています。

患者さんが治療を断った場合ーカルテ記載の大切さ

高血圧や高コレステロール血症などは、今は困った症状はないけど、初めて出た症状が脳出血や急性心筋梗塞などの死に至ったり、重い後遺症が残ったりする病気の原因になります。そのため、その程度や家族歴、併存疾患などから、リスクの重みづけを行い、高リスクと判断されれば、早めの薬物治療の開始をおすすめします。逆に、若い女性の高コレステロール血症のように、低リスクで薬が必要ないばかりか、薬が胎児に影響があるため使用を控えなければならない場合、「非薬物療法で経過観察」と記載します。高リスクの方がお薬による治療を素直に受け入れてくれるときはいいのですが、嫌がって断られた場合にはカルテ記載に細心の注意を払います。なぜなら近い将来、その人が脳出血や心筋梗塞などで死亡したり、重い障害が残ったりした場合、それまでの担当医師の法的責任が問われる可能性があるからです。ですのでそういった場合、「心血管病発症リスクが高く薬物療法をすすめたが断られた」と記載します。今日明日にも重篤な病気に進展することが予想されるような緊急性がある場合、患者さんの御家族に電話し、その旨説明し、その内容をカルテに記載します。このような記載がなされず、重大な結果になってしまい、事情をよく知らない親族が現れて医療訴訟を起され、不当な判決が出されてしまった事例を知っています。カルテ記載は、医療従事者が自らの身を守るためにもとても大切なのです。

医療従事者間で共有すべきことーこんなこともあります

当院は循環器内科なので、胸が痛い、動悸、息切れ、といった症状の方が受診されます。こういった症状には、心臓病が原因になっていることがありますが、その可能性は意外に低く、それ以外が原因の多くであることをご存じでしょうか?必要な診察・検査を行い、症状が心臓病やその他のお身体の病気である確率は、およそ1~2割くらいではないでしょうか。それ以外は「身体症状症」と呼ばれる、心の状態が身体の症状を引き起こす病気によるものです。潜在的な不安感からくる病状なので、「重大な病気ではありません。様子を見ましょう」と説明するだけで、症状が改善することが多いです。ところがこのような説明を行っても、繰り返し同じ症状で病院を受診するリピーターの方がいます。そのたびに原因を探るための検査が繰り返され、毎回検査に問題はなく、結果として医療機関の負担・医療費の無駄遣いになってしまいます。そういった方が将来、自分以外の医療従事者と関わりを持つ可能性を考慮し、何度も同じことが繰り返えされていることが分かるよう、過去のカルテ記事を削除しないで残しておくようにしています。

この人はどういう患者さんなのか?病気・家族・価値観ーサマリーの大切さ

若い方で高血圧の薬を服用しているだけの方には詳しい患者背景記述の必要性は低いですが、複数の病気を持ち、いつ急変してもおかしくない高齢者の場合、一目で分かるサマリー(要約)を作成しておくことがとても大切です。医学的なことだけでなく、家族・価値観など、病気の診断・治療・マネージメントに関わると考えられる情報をサマリーに盛り込み、将来の診療の参考とします。また、急変し他の医療機関や施設に移るはめになった時に備えて準備・更新します。以下に一例を示します(赤字はコメント)。

#慢性心不全・慢性持続性心房細動・20XX年心不全入院歴あり
【入院した事実は再発のリスクが高いことを示し、より丁寧な診療が必要】

#狭心症ステント植え込み術後(抗血小板薬使用していたが、心房細動による脳塞栓予防で抗凝固薬開始された際に中止
【標準的でない治療変更の判断がされた経緯を、誰が見ても分かるように記述を残す】

#慢性腎臓病(○○病院フォロー中、薬物治療開始を検討中:あまり沢山の薬は飲みたくないと。。)
【他の領域の病気に関する責任の所在を明らかにする。必要な治療が行われていない理由も記載】

#骨粗しょう症・大腿骨骨折・右大腿骨頭置換術後20XX年
【日常生活の活動度に影響する病歴は記載しておく】

#大腸がん術後20XX年 #軽度認知機能低下(ひとりぐらし・生活自立・公共交通機関利用可)
【認知症重症度は具体的な記載を心がける】

○○整形外科:フォサマック・アスパラカルシウム
【他院の処方は必ず記載】

エナラプリルで咳>中止
【副作用の出た薬は二度と出さないように!】

要支援2杖使用
【介護保険の情報はできるだけ書く】

長女:看護師
【病状説明の際、助けになる】
心配性(病状説明の際、要留意)

20XX年O月胸部CT:右肺結節指摘>△月要再検
【異常所見の再検査については、特に注意!!忘れると肺がんだった場合、手遅れに。】

いかがですか?このようにかかりつけ医は、長い経過の中でカルテ記載をアップデートし、いつだれが診療などで関わることになっても、この方がどのような方なのか、分かるようにする努力を継続しているのです。パソコンの方ばかりみていても勘弁してくださいね。